• 施設、里親、養親のもとで育ち巣立った当事者のインタビューサイト
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    高校卒業後、電気関係の仕事に就いた日向寺雅志さん。施設を出たばかりの彼が、それまでのそだちを振り返り、率直な想いを語ります――

     

    何もわからないまま里親のもとへ

    ――生い立ちについて教えてください

    父、母、姉、妹と自分の5人家族でした。幼稚園を卒園した頃、きょうだいの前で、夫婦喧嘩がありました。理由は父のギャンブル癖。最終的には警察官が呼ばれて、ようやく治まりました。そのできごとがきっかけで、両親は別れました。自分は父と一緒に家を出ました。父がマンションを借りて、2、3ヶ月の間は一緒に住んでいました。しかし生活が苦しくなり、自分は児童相談所に預けられました。そこで3ヶ月過ごしたあと、里親さんのところに行きました。

     

    ――里親に預けられていたときの気持ちは

    何もわからないまま放り込まれた、という感じです。当時はまだ小さな子どもで、里親さんのもとでの生活がどのようなものなのかをイメージすることはできず、とりあえずそこに行かなければならないと思っていました。里親さんに預けられてからは、ずっとペコペコしていました。家の手伝いをしていたのも、里親さんに対する「申し訳ない」という気持ちからかもしれません。

     

    ――里親のもとで生活していたのはいつまでですか

    半年から1年ぐらい過ごしたあと、里親さんのもとを離れることになりました。理由は、自分の虚言が多かったからです。あるとき、学校で配られた書類のことを忘れていて、里親さんに「ない」と言いました。すると里親さんがランドセルの中から書類を見つけて、自分が嘘をついていることになってしまいました。そのとき、父親からもらったゲーム機を捨てられてしまったんです。そこから言い訳や嘘がエスカレートしてしまい、「もう預かることはできない」ということになったのだと思います。そのあと、児童養護施設に入りました。小学2年生の8月のことです。

     

    メンバーによって変わる生活環境

    ――児童養護施設に来て感じたことは

    中高生の人たちは、優しくていい人ばかりでした。でも、年上の小学生からの圧力がすごかった。年功序列のような感じで、観るテレビ番組を決めるときに威圧されたりしました。圧力は少しずつ強くなっていきました。優しかった中高生が、18歳になったり里親さんが見つかったりして退所すると、今まで抑えられていた人のたがが外れて、暴力を振るうこともありました。

     

    ――施設での生活で良かったことは

    小学生の頃は、やりたいことをやらせてくれる先生ばかりでした。特にA先生は、小学校2年生のときから中学校を卒業するまで自分を育ててくれました。サッカーで地区の選抜メンバーに選ばれたときには、練習場所や大会会場への送迎など、負担があったにも関わらず協力してくれました。毎日のように怒られていたけれど、とても感謝しています。

     

    ――やりたいことを尊重してくれた職員だったのですね

    そうなんです。でも、職員が入れ替わり、いろいろなことが変わっていきました。お金の管理が厳しくなったり、今まで認められていたものが禁止されて、やりたくないことが増えたりしました。例えば冬休み。以前なら、どこに遊びに行き何をするのかは、個人の自由でした。でも最近は、寮ごとに、必ず先生が付かなければならないことになりました(筆者注:年末に支給される「期末一時扶助費」を使った外出について)。

     

    ――職員の入れ替わりで厳しくなっていった

    人の入れ替わりは仕方のないことですが、ルールが変更されることによって子どもが受ける影響は大きいと思います。例えば、お風呂のルール。もともと、「◯時までに全員入る」とだけ決まっていたのですが、時間ごとに誰が入るのか、細かく決められました。すると、「早く入れ」と、子ども同士の言い争いが増えました。ルールを厳しくすることで集団行動を身に付けさせようとしたのだと思いますが、子ども同士で相談して決めたほうが、コミュニケーションが深まります。大事なことを抜いてしまっている気がします。

     

    ――一般家庭の子どもとの違いを感じたことは

    私は差別されたことはありませんでしたが、中学校のとき、同学年にはいじめられて不登校になった女子がいました。高校では、施設で生活していることを明かさずに通っていた人もいます。特に女子は、施設で生活しているのを周りに知られることを嫌がっていたと思います。一つ年上の代の人たちの中には気にしない人もいたし、差別の感じ方は人によって様々だと思いました。

     

    ――施設で生活していることを周りに明かしていましたか

    自分は全てをさらけ出していました。でも、次々に言いたいことを言ってしまい、周りの人が離れていくこともありました。高校生のときは、「一緒に過ごせる人が誰もいない」と感じ、学校に居づらくなることもありました。

     

    進学を断念した自分を支えてくれた高校の先生

    ――退所後の進路について考えるようになったのはいつですか

    中学生の頃から、子ども会でボランティアをしていました。高校生になり、保育士になるために大学に行きたいと考えるようになりました。でも施設の先生に、「両立できない」「お金を使っちゃうだろう」と反対されました。

     

    ――施設の職員に反対されてどうしましたか

    「やってみないとわからない。無理と決め付けないでほしい」「ボランティア経験を活かせる仕事に就きたい」と反論しました。でも、学費を工面することが難しかった。アルバイトだけでは足りませんでしたが、「貸与型の奨学金は借金と同じ。借りてはいけない」と言われました。新聞奨学生をすることも考えましたが、続けられる自信がありませんでした。最後は、「保育士の資格は学校に行かなくても取れる」と言われて、諦めさせられました。全ての先生から、「進学は無理だ」と言われて、悔しい気持ちもありました。

     

    ――就職することになったんですね

    進学を諦めたのは高校1年生。それからしばらくは、目標が無くなりました。でもあるとき、電柱に登っている電気工事のおじさんがかっこよく見えたんです。その時から、電気関係の仕事に就こうと思いました。

     

    ――進路を決める際にどのような支えがありましたか

    高校の担任が優しくて面白い先生で、怒るときは怒るけど、自分たちのことを想って下さる方でした。進路を決めるときに、「電気関係の求人がいくつか来ているよ」と教えてくれました。親元から離れた場所で働くことを一つの基準に、今の会社を選びました。

     

    ――現在の仕事について教えてください

    電気関係の会社で、電線の地中化工事の管理をしています。コミュニケーション、礼儀、マナーなど、仕事を通じて改めて自分の足りない部分に気付いたので、それらを身に付けたいと思っています。仕事の内容が覚えられなかったり、効率が悪かったりして、落ち込むこともあります。そんなときは、頼りになる中学・高校時代の先輩に相談しています。

     

    ――施設で生活している子どもたちにメッセージをお願いします

    本気でやりたいことを早く見つけて、周りの人に伝えてみよう。相談することで考えが煮詰まっていくし、協力してくれる人を増やしていくことができます。いろいろなことがあってめげている子もいると思うけど、その理由を受け止めることができたら、先に進めると思います。自分のために頑張ってくれている先生や、ボランティアの人たちを信頼して、勇気をもって相談したら、そこから歯車がうまく回り始めます。

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    コメント一覧

    返信2017年1月28日 9:09 AM

    デイブ24/

    進学をあきらめて就職するー そんな話は、児童養護施設では当たり前のようになっています。 当事者の彼ら、彼女らには責任がないところでそんな差が生まれることがとても残念です。 それでも明るく前向きに生きる日向寺くんは、多分去年ボランティアで一緒に話したことがありますね(笑) 常に周りの人に気を配って、優しい柔らかな印象が残ってます。 元気そうで何よりです。

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