• 施設、里親、養親のもとで育ち巣立った当事者のインタビューサイト
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    中学生のときにDV防止法の保護下に入って以来、名前を使い分けて生活している本田万里さん(仮名)。堂々と生きられないことに苛まれる彼女は、17歳で児童養護施設に入った。どん底にあった彼女を支えたのは――

     

    同級生は私の名前を知らない

    ――生い立ちについて教えてください

    中学生のとき、父からDVを受けた母と共に、それまでの全ての縁を切って逃げることになりました。元々、母が大好きだったし、ずっと続けていたスポーツも応援してくれていたから、母に付いていきました。転校先の学校では、通称名を使っていました。友達に、「どこから転校してきたの」と聞かれても、答えられないことが苦痛でした。何をきっかけに父に足跡を掴まれるかわからないため、写真を撮られることや、SNSで自分の情報がさらされてしまうことを恐れるようになりました。街中でも、堂々と歩くことができなくなりました。学生証も高校受験も、すべて通称名でした。

     

    ――母との関係はその後どのように変化しましたか

    母・子ともに生活環境が大きく変わり、お互いに不安定になりました。高校に入って、部活と勉強を両立することが難しくなり、母に部活を辞めさせられてしまいました。部活は唯一自分らしく振る舞える場所だったので、「人生終わりだ」と思いました。今振り返ると、様々な制約を受けながらも懸命に生きている母にとって、私が好きなことをやっていることが良く思えなかったんだと思います。

     

    ――児童養護施設に入ることになったきっかけは

    17歳のとき、母と口論になり、家を飛び出しました。夜、家に帰ったら中に入れてもらえませんでした。警察に家に来てもらいましたが、本当は家に帰りたくなかったので、児童相談所(児相)に保護してもらいました。児相の職員に、「家に帰りたくない」とずっと訴えていたのに、「あと1年我慢しなさい」と言われて、3週間後に家へ帰されてしまいました。しばらくは家にいたのですが、限界はとうに超えていました。「子どもの人権110番」で知り合った弁護士のはたらきかけで、やっと施設に入ることができました。

     

    私の心を開いた大人たち

    ――児童養護施設での生活は

    児相でのこともあったので施設の人も信用できないと思い、心を閉ざしていました。でも、「ここが自分の家だ」と思うしかなかったんです。入所したその日から、職員と交換日記をはじめました。毎日コメントが書いてあって、「私を見てくれているんだ」と思い、少しずつ話せるようになっていきました。あるとき職員に、「ここに敵はいないよ。みんなあなたの味方だよ」と言われたことがきっかけで、心を開き始めました。私の様子を伺いながら、タイミングを見計らって話しかけてくれました。

     

    ――退所に向けてどのように備えましたか

    施設の人の紹介で、NPO法人ブリッジフォースマイル(以下B4S)の「巣立ちプロジェクト」(施設を出た後、一人暮らしをする際に役立つ知識やスキルを学ぶセミナー)に参加しました。初めは戸惑いがあったけど、毎回いろんな人と交流して、少しずつ楽しいと思えるようになっていきました。そして、自分たちの力になろうとしてくれるたくさんの人達の存在に気付き、閉ざされていた自分の世界が広がっていく気がしました。巣立ちプロジェクトに参加してできた繋がりはとてもよかったし、今でもお世話になっています。B4Sの人に支えてもらったことで気持ちに余裕ができ、「いつか自分も支える側になりたい」と思えるようになりました。

     

    ――施設職員やボランティアとの関わりによって心が開いた

    私は、幼い頃からコミュニケーションをとることが苦手でした。「ありがとう」や「ごめんね」を言うことができなかったし、「おはよう」や「こんばんは」のあいさつもできなかった。クラスで一人ぼっちでいるのは嫌だけど、どうやって仲良くなればいいのかがわからない。泣き虫のクラスメイトの気を引くように、わざと意地悪をしたりしていました。人間関係の築き方がわからないので、ずっと苦労していたんです。でも、施設の職員やボランティアさんたちのおかげで、人とつながり関わりを深めることを、心から楽しめるようになりました。

     

    ――進路選択の際にどのような支えがありましたか

    進学に向けて、職員が一緒に学費や生活費の計算をしてくれました。一般的な大学では、アルバイトと学業の両立が難しいことがわかりました。そこで、児童養護施設出身者対象の学費減免制度や寮がある大学に進学することにしました。

     

    ――児童養護施設を出た後どのような困難がありましたか

    大学の授業は面白みがなく、アルバイト漬けの日々。何のために大学に通っているのか、わからなくなりました。また、大学職員に、「寮がいっぱいだから出られる人は出て」と促されて、賃貸物件を探しました。保証人を立てられなかったので、施設長に頼んで、20歳の年度末まで保険をかけてもらえることになりました。でも、施設出身者で頼れる親族はいないけど保証があることを不動産屋に説明したのに、理解が得られずに契約を断られました。地方だったので、信用機関のような制度は利用することはできませんでした。結局、卒業まで大学の寮で生活しました。

     

     

    支援者と当事者をつなぐ

    ――現在取り組んでいることは

    児童養護施設を支援している団体と、支援の対象である当事者とをつなぐ活動がしたいと思い、様々な企画を考えています。大学生のときに、B4S以外にも児童養護施設を支援している団体がたくさんあることを知りました。私が大学生になるまでB4S以外の支援団体を知らなかったように、支援団体を知らない当事者はたくさんいます。支援団体と当事者をつなげれば、より多くの当事者が支援を利用したり、人とのつながりを増やしたりすることができると考えています。

     

    ――そのモチベーションはどこからきていますか

    施設の人やボランティアとの関わりの中で、人と繋がることの楽しさや大切さに気付きました。そのことを、多くの人にも知ってほしいと思っています。また私は、「自分にできることは何でもやりたい」と思っています。小さい頃からお母さんに、「大きくなったら世の中を良くすることをしようね」と言われて育ってきました。だから、「人の役に立てるように」と思っています。

     

    ――母のことをどのように思っていますか

    母が今、生きているか死んでいるかはわからない。だけど、母のことを好きだった頃のことは変わらない。恨んでいることもあるし、感謝していることもある。「好き・嫌い」で単純に分けられるものじゃないんです。

     

    ――施設で生活している子どもたちにメッセージをお願いします

    私が伝えたい事は三つあります。

     

    一つ目は、人との繋りを大切にすること。いろんな繋がりがあると、「一人じゃないんだ」と思えて、救われる部分がある。だから、人とのつながり大切にしてほしい。

     

    二つ目は、勇気を出すこと。困ったときに、思い切って勇気を出して行動することができればプラスになる。悩んだら、「えい!」って、やってしまうのがいいと思う。

     

    三つ目は、人に感謝すること。嫌なことがあっても、全てを否定するのはよそう。例え一部分であっても、感謝できるところがきっとあるはずだから。

     

    ――自分の助けになった人たちに伝えたいことは

    学校の先生とか施設の人とか、伝えたい相手はたくさんいて、絞ることなんてできない。もう会うことができない小学校の先生とかに、今までのことをとにかく全部、話したい。いろんなことがあったけど、ちゃんとがんばっているよと伝えたい。

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    コメント一覧

    返信2017年1月28日 8:53 AM

    デイブ24/

    巣立ちプロジェクトでボランティアとして参加して3年目になります。 実は、参加しているボランティアの大人たちは、どこまで高校生たちの役に立てたのだろうか、つかめないでいることも少なくありません。 それでも、少しでも、何か自分にできることをやりたいと参加している大人たちにとっては、彼女が巣立ちプロジェクトに参加して良かったと思ってくれていることは、何より嬉しい事だと思います。 良い記事でした、ありがとうございます。

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