• 施設、里親、養親のもとで育ち巣立った当事者のインタビューサイト
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    5才で児童養護施設に入った進さん。母への想いから、卓球に打ち込みます。荒れた中学時代、一度は卓球を離れました。しかし、大切な人を亡くしたことを機に再開し、全国大会に出場しました。大学卒業後、ファッションブランドWEGOのショップ店員となった彼が叶えようとしている夢とは――

     

    ――生い立ちについて教えてください

    父の記憶はなく、物心がついたときにはお母さんと二つ上の兄と3人で暮らしていました。5才の頃、お母さんは2、3日に1度家に帰ってきて、食事だけ置いてまたどこかに出かけていきました。あるとき、「お母さんが帰ってこない」と伯母さんに電話をしたら、伯母さんが家に迎えに来て、一緒に児童相談所(以下児相)に行きました。どんなところに連れて行かれるのかがわからず、不安でただひたすら泣いていました。

     

    ――家に帰りたいと思っていた

    家にいたときは、ご飯を食べたいときに食べて、テレビを観たいときに観て、寝たいときに寝る生活でした。僕にとって初めての集団生活となった一時保護所では、日課やルールが決められています。どうすればいいかわからず、ただ、「早く家に帰りたい」と思っていました。およそ1ヶ月後、「今日から家が変わる」と児相の職員に言われて、兄と一緒に児童養護施設へ移りました。そのときもただひたすら泣いて、嘆いていました。施設での生活が始まった頃は、家に帰れないことが悲しかった。ご飯を残してはいけないので、毎日泣きながらご飯を食べていました。

    「お母さんを喜ばせたい」と打ち込んだ卓球で全国大会へ

    ――施設での生活は

    小学1年生のとき、施設の卓球クラブに入りました。出場した大会の個人戦で、上位に入賞しました。そこから、卓球漬けの日々。学校から帰ってきて、すぐに練習。自由時間も練習。ひたすら練習していました。小学2年生の頃、お母さんから電話があり、「大会の結果が新聞に載っていたね」と言われました。お母さんが見てくれていることがわかり、とても嬉しかった。「有名になって、お母さんを喜ばせよう」と、更にがんばりました。卓球が楽しいというよりも、お母さんに認められたい一心でした。練習を重ね、個人戦でも、九州大会や全国大会に出場しました。

     

    ――小学校ではどのように過ごしていましたか

    小学校の時に嫌だったことは、授業参観や式典。友達はみんな親が来ていて、バシバシと写真を撮ってもらえる。でも自分には、写真を撮ってくれる人がいない。マラソン大会や運動会も嫌でした。自分は結構足が速くて、マラソン大会で入賞したり、運動会の学年リレーで選手に選ばれたりしていたんです。みんなはがんばった分ご褒美をもらえるけど、自分には何もない。みんなが「ご褒美をもらった」と話しているのを聴くことが嫌でした。

     

    荒れた中学時代、職員が亡くなったことを機に再起。

    ――中学生になってからは

    中学生になって、すごく荒れたんです。卓球も辞めてしまいました。卓球の短パンがすごく恥ずかしくなっちゃって。「やってられるか」と、勢いで。その頃は、全てのことに対して批判的でした。頑張っている人に、「何いい子ぶってるんだろう」、「ムカつく」と言ったり、学校でも毎日のように悪いことをして施設の先生が迎えに来たり、逆に学校の先生が施設に来て、「今こういう状態で困っているんです」と言いに来たり。授業どころじゃなかったです。

     

    ――施設で生活していることを周りは知っていましたか

    小学生のときはそれが当たり前だったのですが、中学生になって、違う小学校出身の人が、「あいつ施設出身らしいよ」と聞こえる声で言ってきたり、英語の授業のときに「進くんは施設出身で~」と英語でからかってくる人がいました。なめられてはいけないと必死だった自分は、「お前今なんて言った」と相手に詰め寄り、周りに見せつけるように脅したことがあります。そういうやりとりがあったけど、段々と理解してくれる人が増えました。やがて、「施設出身であることは関係ない」と、友達が守ってくれるようになりました。友達に恵まれていました。

     

    ――施設ではどのように過ごしていましたか

    ある時、施設で自分を受け持っていた先生が病気で亡くなったんです。親が二度いなくなったような感覚でした。ショックで、一週間くらい引きこもりました。その先生は何が好きだったのか、どんなときに喜んでくれていたのかを考えていたら、卓球をしているときにすごく喜んでくれたことを思い出したんです。「もう一度卓球をやらなくては」と思い、伸びていた髪を坊主にして、1年ほど離れていた卓球を再開したんです。その後、再び全国大会に出場しました。

     

    ――将来のことをどのように考えていましたか

    中学3年生の頃、卓球では食べていくことができないことがわかってきました。自分にとって施設職員は身近な存在だったので、「自分も施設で働きたい」、「保育の勉強がしたい」と思い、保育科のある高校に行きました。小さい頃からピアノが弾けるようになりたいと思っていたけど、施設で生活していたので一人だけ習い事をすることはできませんでした。でも、高校の保育科では授業でピアノを習うことができるし、保育の実習もとても楽しかった。高校3年生のとき、進路について迷っていたら、学費の面で児童養護施設出身者を優遇してくれる大学を職員さんが勧めてくれて、そこに進学することを決めました。

     

    ――大学進学後は

    ファッションに目覚めて、いろんな人から褒めてもらえるようになりました。また、保育士の実習などを重ねる中で、「自分に向いているのか」と、迷いが生じました。悩んだ末に、今しかできないことに挑戦しようと、ショップ定員を志すようになりました。大学3年生の3月にWEGOの採用試験が始まり、内定を頂いたのは4年生の10月。採用は全国で10名の狭き門だったのですが、奇跡的に合格を頂くことができました。

     

    ――働いて1年が経とうとしています

    入社後、福岡の店舗に配属されました。初めは辛かった。自分よりも経験のあるアルバイトに指導しなくてはならないのに、知識や経験の乏しい自分の言葉は説得力に欠け、相手に伝わらない。悔し涙を浮かべながら家路につくこともありました。何度もぶつかりましたが、次第に信頼関係を築くことができて、チームワークが良くなったんです。すると店長が、「東京で店長候補者の研修がある。必ず良い経験になるから行っておいで」と推めてくれました。今は研修を受けていて、春から大分の店舗で副店長をやらせていだきます。

    施設の子どもたちに服を届けたい

    ――これから実現しようとしていることは

    子どもたちに服の楽しさを伝えたい。流行の服は高いので、施設の子がたくさんの服を買うことは難しい。自分が施設にいたときは、持っている服が少なくて、友達と遊びに行くときにいつも同じ服でした。だから、イマイチ自信が持てなかったんです。同じような思いをしている子どもたちは多いのではないかと思います。WEGOの服を、何らかの形で施設の子どもたちに届けることが、今の夢です。

     

    ――施設にいる子どもたちにメッセージを

    施設の先生から厳しく言われることがあるかもしれません。でもそれは多くの場合、自分のことを想ってくれているからこその厳しさです。もし今、不自由さを感じていても、施設を出たあとには、自由であることの幸せを普通の人よりも強く感じることができます。悩んで苦しんだり、ときには荒れたりすることもあるかもしれません。それは、成長する段階で必要なこと。振り返ったときに笑い話にできるような生き方をしてほしい。

     

    ――これまで支えてくれた人へメッセージを

    小中高で出会った友達や施設の仲間に、ただただ「ありがとう」と伝えたいです。荒れていた時期は文句ばかりで、周りに対しても否定的でした。でも、いつも誰かが近くにいてくれて、「施設出身とか関係ないよ」と支えてくれた。そのことを本当に感謝しています。

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