そだちとすだち
    • 施設、里親、養親のもとで育ち巣立った当事者のインタビューサイト

    小学1年生のときから、継父の暴力を受けていた阿部華奈絵さん。中学3年生で親元を離れたことをきっかけに活動的な自分を取り戻し、インターハイの実行委員長を務めるまでになりました。20才になった阿部さんが、これから実現しようとしていることとはーー

     

    継父からの暴力によって自分を抑圧していた

    ――生い立ちについて教えてください

    小学校に上がる前、両親が離婚し、母が再婚しました。新しい父親は初め、私を受け入れようとしていました。けれど、私が小学1年生のときに弟が生まれ、その頃から関係が悪くなってきました。小学生の私はとても荒れていました。自分に注意を向けてほしくて、授業を抜け出したり、新しい父親を傷つけることを言ったりしていました。新しい父親は次第に、私に暴力を振るうようになりました。一番ショックだったのは、ゴミを出しそびれて収集に間に合わなかったときのこと。ベランダに追いやられて、「お前は社会のゴミだ。お前を必要としている人なんていない」とゴミを投げつけられました。悔しかった。

     

    ――継父からの暴力が明るみになったのは

    中学3年生のときでした。新しい父親に携帯を投げつけられ、顔にできた傷を自分で手当てして学校に行きました。すると友達に、「前から気になっていたけど、何かあるでしょ」と聞かれて、本当のことを言いました。それを友達が学校の先生に伝えて、先生が児童相談所(以下、児相)の人を呼びました。そこで初めて、大人に事情を説明したのでした。「そんなことがあったの!?」と、驚く児相の人の様子に、私が驚きました。

     

    ――それまでされていたことの深刻さに周りが気付いた

    学校の先生に、「家に帰るかどうかは、あなたが決めて良い」と言われました。当時の私にとっては、究極の選択でした。父が暴力を振るっていたことが明るみになった今、「家に帰ったら父親に殺される」と思いました。だから私は、「帰りたくない」と伝えました。校長先生から紹介された里親さんのもとで保護されることになりました。ちょうど、高校受験のタイミングでした。里親さんには、「施設に行くなら、高校卒業後に進学することは難しい。就職率の高い工業高校を選んだほうがいい」と言われました。その頃の自分は生きることに精一杯で、進路のことを考える余裕はありませんでした。だから、里親さんに言われるがままに進学先を決めました。

     

    ――保護されたあとは

    本当は、家に帰りたいと思っていた。あるとき、親と面会するために児相に行きました。でも、親に会うことはできませんでした。児相の人から、「お父さんに渡された」と、施設入所の同意書を見せられました。「何で勝手に」と思ったのと同時に、捨てられたのだとショックを受けました。

    内気な自分を変えたくてインターハイの実行委員長に

    ――施設はどのような場所でしたか

    職員の入れ替わりが激しかった。子どもとの関係づくりに疲れて辞めていく人が多かったように思います。職員が変わると、またイチから自分のことについて話をして、人間関係をつくらないといけない。それに、職員が変わる度にルールが変わるんです。500円分のお菓子を買える日があって、私はお菓子を食べる習慣がなかったので、果物や干し芋を買っていました。ところが、職員が変わったら「お菓子じゃないからダメ」と言われて。そういう小さなルール変更が重なる度に不満が溜まって、居づらさを覚えました。

     

    ――施設に入って良かったことは

    施設に入る前、親友に憧れて、ピアノを弾きたいと思っていました。鍵盤の配置もわからなくて、楽譜も読めなかったんですけど。施設には、小さな頃からピアノを習っていた職員さんがいました。その職員さんが出勤する3日に1回くらいのペースで、新しいところを教えてもらいました。練習を重ねて、1年かけて弾けるようになって、最終的には合唱祭で演奏しました。

     

    ――とても活動的ですね

    2014年のインターハイの開催地が東京だったんですけど、その実行委員を募集するポスターが学校に貼ってありました。それまでの私は内向的な性格でした。そんな自分を変えたいと思い、思い切って挑戦することにしました。初回のミーティングで、170人の中から実行委員長を決めることになり、立候補して委員長になりました。活動がスタートすると、みんな本当にやる気があって。告知用の看板をつくったり、イベントでインターハイをPRするためのブースを設けたり。いろいろな人たちと同じ目標に向けてがんばることがとても楽しかったです。

     

    ――様々なことに挑戦していた

    でも、インターハイが終わって、実行委員会が解散したら、自分はただの阿部華奈絵になっちゃって。何にもやる気が起きなくなってしまいました。そんな状態で就職することを選んで。ハローワーク経由で学校に紹介された仕事から選ばないとけなかったのですが、やりたいと思える仕事が一つもなかったんです。施設を出て生きていかないと。就職しないと。就職先を選ばないと。でも、選択肢がない。時間がない…と追い詰められて、最終的には映像制作の会社に就職することにしました。

     

    ――働き始めてからは

    朝10時から翌日の朝10時まで、24時間ぶっ通しで働く生活でした。次第に、「人が足りないから」と言われ、休みなくそのまま別の現場に入ることが増えました。48時間連続で働いて、死にそうになりました。何のために働いているのかわからなくなり、踏切で立ち止まるたび、通過する電車に吸い込まれそうになりました。あるとき、次の現場に移動する電車の中で、さっと血の気が引いて過呼吸になって、全身けいれん状態になってしまったんです。そこでようやく、「みんなは、ここまで命懸けで働いているんだろうか」と疑問を抱きました。もう一度、インターハイの仲間のようなやる気のある人達に会いたいと思い、社会起業大学に参加しました。そこで、いかに自分の視野が狭かったかを思い知りました。体調に限界が来ていたこともあり、「行動に移すべきだ」と思って仕事を辞めました。

     

    ――仕事を辞めてからは

    高校生のときに貯めたお金で生活しながら、様々な勉強会に参加しました。明確な答えがない問題について、それぞれの経験や立場をもとに、どのような解決策があるのかを話し合うことが楽しくて。勉強ってこういうことなんだと知りました。人とのつながりも増えました。毎日のように講演会に行っていたので、ある講演会で出会った人と、別の講演会で再会することもありました。いろいろな人といると、考え方が広がって楽しい。その感覚にハマりました。

    20才になったその日、世界はまた広がった。

    ――20才を迎えられました

    20才の誕生日。朝、目が覚めた瞬間、すごくドキドキしました。身支度をして家の扉を開けたら、青空が広がっている。「ハタチの扉を開けたぞ」と、清々しい気分でした。今までは携帯電話や旅行の契約にも、ボランティア活動の登録にも親の同意書が必要で、その度に諦めたり、母親に会わなければなりませんでした。羽を広げようとしているのに、壁にぶつかって広げられないような。気持ちの面の変化も大きいですね。今まで20代の人たちってちょっと大人だなって思っていたんですよ。でも、その大人に自分もなるんだなって。

     

    ――これから実現しようとしていることは

    一つ目は、経験を発信すること。社会的養護に対する世間の関心は高まっていますが、当事者の人たちが発信する場面は、あまり多くはありません。支援を受けて生活をしている人たちは何を思っているのか。支援者の視点と当事者の視点を併せて、よりよい支援方法を発信していきたい。

    二つ目に、施設間の情報格差を解消すること。今、支援団体は増えています。でも、施設によって得られる支援に差があります。これは、職員が持っている情報に差があるからです。その差を解消するために、ガイドブック「ゆでたまご」を制作しています。支援団体の情報や施設出身者の経験談を盛り込んだガイドブックを各施設に配布することで、情報格差を解消し、施設で生活している人たちの選択肢を増やしたい。

     

    ――施設で生活している子どもたちに向けてメッセージをお願いします

    施設出身だからといって、できないことは何もないと思っています。みんなと同じような道を歩むことができなくても、焦る必要はない。困ったら、人に頼りながら道を拓いて、自分の夢を叶えてほしいです。



    コメント一覧

    返信2017年3月17日 4:34 AM

    正美24/

    コメント失礼致します。素敵な夢だと思いました。施設の子たちがより良い環境で育てることを私も応援致します。 私も父親から性的虐待を受け、児童養護施設に入所した経験があります。アスペルガー症候群だった姉は自殺しました。 私は文章を書いたり数字を処理したりするスピードが遅いという発達障害があります。理解力はあるので成績は優秀な方で、日常的に話していて私に障害があると気付く方はいません。そのため、時間が足りずに提出期限が守れなかったり、仕事が遅い私を見て、私を怠け者だとか自己中心的だと思う方がいらっしゃいます。 私の夢は精神疾患についての理解を社会に広めることです。虐待をする親はパーソナリティ障害などの精神疾患を抱えています。そんな親に育てられた子ども達は発達障害に陥ることがあります。この世で起こる犯罪は全て精神疾患から起こるものだと思います。こんな世の中を変えたいです。犯罪者だけが悪いのではありません。犯罪者を育てるのは社会です。社会で犯罪を阻止できるように、生きやすい世界をつくるために活動していきます。 お互い、より良い社会のために頑張りましょう。

    返信2017年6月22日 3:38 PM

    島根一郎24/

    昨日「人むすびの場」に参加した島根と申します。 阿部さんのパワフルな行動力に打たれました。 大江健三郎著大江ゆかり絵「恢復(かいふく)する家族」に 「恢復って元に戻ることではありません、元以上になることを恢復と云います…」とある。 元NHK記者の栁田邦男氏は子息を自殺でなくします。 鬱々とする中、偶々本屋で見かけた絵本にホットした気持ちになり、「大人こそ絵本を!」などと訴えることで立ち直り、恢復したのです。

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