そだちとすだち
    • 施設、里親、養親のもとで育ち巣立った当事者のインタビューサイト

    児童養護施設を出たあと成人式を迎える女性に、振袖姿の写真を撮る「ACHAプロジェクト」に取り組んでいる、山本昌子さん。彼女の生い立ちと、プロジェクトを立ち上げたきっかけとは――

    グループホームでの生活は人生そのもの

    ――生い立ちについて教えてください

    生後4ヶ月から乳児院で育ち、2才のときにグループホームへ移りました。親の代わりに私を育ててくれた、あるベテラン職員さんは、「家庭的な雰囲気を」という想いで、私たちを本当の家族のように育ててくれました。みんなでリビングに集まって過ごす時間を大切にしていて、ケンカがあっても、「自分たちで解決するように」と見守ってくれていました。その職員さんは、料理がとても上手でした。私が小学校高学年になると、「お手伝いしてみる?」と、料理を教えてくれました。その時々で必要なことを見極めて、生活の中で自然に身に付くようにしてくれていたんだと思います。

     

    ――家庭的な環境をつくってくれた職員さんだったんですね

    時間にもルールにもすごく厳しい人でした。子どもからは嫌われ役で、私も小学6年生まではその職員さんが嫌いでした。でも、何か悪いことをしたときに、その職員さんが泣きながら一生懸命に叱ってくれたんです。私を想ってくれていることがわかり、嫌いだった気持ちが尊敬に変わりました。それに、その職員さんは、職員間のチームワークを大切にしていました。1時間も2時間もかけて、丁寧に引き継ぎをしていました。また、私が新しい職員を試すようなことをすると、「私は職員の味方。そういうことは許さない」と叱られました。厳しくも人情に厚く、愛情深い人でした。

     

    ――素敵な職員さんですね

    そうなんです。でも私が高校生になったとき、その職員さんが辞めてしまいました。その職員さんは私が高校を卒業する年に定年を迎える予定だったので、「一緒に卒業しよう」と約束をしていたんです。だから私は心のどこかで、「捨てられた」と感じていました。その職員さんがいなくなったあと、ホームの雰囲気が崩れて、私自身も荒れました。

     

    ――高校卒業後に向けては

    ホームが荒れていて職員さんに余裕が無かったため、進路に関することは全て自分でやりました。児童養護施設の職員になるために保育士の資格を取りたかったので、専門学校を探して、出願して、受験して、合格しました。父が、「卒園したら一緒に住もう」「学費は出す」と言ってくれていたのですが、それも色々な事情によって難しくなりました。職員さんは、「それじゃあ進学はできないね」と、あっさりした対応でした。卒園式はありましたが、孤独感の募るものでした。私にとってホームは、人生の全て。だけど職員にとっては、一人の子どもがただいなくなるだけ。「私には帰る場所がないんだ」と、心にポッカリ穴が開いたような思いでした。ホームを出てから、喪失感、孤独感が強くなっていき、一時期は自分の人生を終わらせたいとまで思いました。それでも、「育て親の職員さんを悲しませたくない」という気持ちが、生きる力になっていました。

     

    自分の居場所を求めて施設職員になろうとしていた

    ――ホームを離れたあとは

    自立援助ホーム(以下自援)に入りました。私はどうしても専門学校に行きたかったので、友達にも会わず毎日のように働いて、1年間で学費を貯めました。自援でも門限などの規則がありました。ふさぎ込んでいた私は、自援の職員さんとの信頼関係がうまく築けませんでした。だから、まるで監視でもされているかのように感じていました。「何も悪いことをしていないのに、なぜ檻の中に――」。ある時、私は自援を飛び出しました。そして、公園で寝泊まりしたり、友達の家に居させてもらったりしました。しばらくして一度自援に戻り、一人暮らしをするためのアパートを探して、正式に自援を離れました。

     

    ――施設職員を目指したのはなぜですか

    児童養護施設には自分の居場所があり、職員になれば帰ることができると思っていました。育て親の職員さんの家に遊びに行ったとき、「あなたが児童養護施設で働きたいのは自分の為じゃないの? そこに帰っても、あなたの時間は戻らないよ」と、助言をいただきました。私の考えていることは、その職員さんには全てお見通しです。今では、「居場所を求めて児童養護施設で働くことは子どものためにならない」と思うようになりました。

     

    ――育て親の職員さんとの関係が退所後も続いていた

    専門学校で生い立ちの整理について学びました。私も生い立ちを整理したいと思いました。育て親の職員さんと再会したとき、彼女は私を「捨てた」のではなく、体調を崩して仕方が無く仕事を辞めたことがわかりました。「ごめんね」と言葉をかけていただき、心の整理がつきました。それまでの私は、施設で育ったことをマイナスの経験と捉えていました。でも、温かい記憶が蘇り、プラスの面が強くなりました。育て親の職員さんをはじめ、多くの方々との出会いがあったからこそ、私は今生きています。そのことにとても感謝しています。

     

    振り袖姿の撮影を通じて彼女たちに勇気を

    ――ACHAプロジェクトを始めたきっかけは

    18才でホームを出てから21才の頃までは、精神的にとても辛い時期でした。20才の成人式に、私は出ることができませんでした。そんなとき、知人が私の振袖姿を撮影してくれたのです。すごく嬉しくて、生きる勇気が湧いてきました。あの辛かった時期のように、同じ境遇にある人たちの力になりたいという思いが募り、それがACHAプロジェクトにつながっています。

     

    ――活動はどのようにして実現したのですか

    ボランティアを募集することができるWebサイトで、撮影に必要なスタッフ(カメラマン、ヘアメイク、着付)や振り袖・写真台紙などを募ったら、たくさんの人が呼びかけに応じて下さいました。その中には、振り袖を12着も寄付して下さった方がいらっしゃいました。いただいた振り袖を着て喜んでいる女の子たちの姿をその方に見せたいと思い、その方のお住まいがある大阪に支部を作りました。振り袖を着ることができない子がいなくなるように、活動拠点を増やしていきたいと思っています。

     

    ――活動を進めるときに大切にしていることは

    新しく参加してくださるスタッフさんには、最初に1、2時間かけてプロジェクトの説明やそこにかける思いを伝えるよう、そして、スタッフさん自身の気持ちもすべて聴くようにしています。自分の夢や、若い頃に振り袖を着ることができなかった後悔の思いをこのプロジェクトに託してくださっている方もいるし、支援者の思いも様々です。期待にプレッシャーを感じることもありますが、これからも責任を持ってがんばります。

     

    ――これから実現しようとしていることは

    児童養護施設出身者の声を施設の子どもたちに届けたい。施設職員さんが働きやすい環境を整えたい。当事者にとっても職員さんにとってもプラスになるものを生み出したいです。現在、ACHAプロジェクトの活動報告を冊子にして、全国の児童養護施設に配布しています。その冊子では、当事者の経験談や支援団体を紹介しています。児童養護施設の子どもたちが、自ら支援に手を伸ばせるようになったら嬉しいです。

     

    ――施設で生活している人たちにメッセージを

     

    あなたは大切な存在

     

    生きているだけでいい もし辛いときや苦しいときは

    「頑張らなきゃ」なんて思わなくていいんです もうがんばっています

     

    大事なことは 頑張りすぎないようにすること

    息をしているだけで いつか必ず笑える日が来ます

    青空を見ただけで 嬉しいと思える日が来ます

     

    1ミリでも 未来を信じる勇気を

    いまはただ息をして

    苦しくなったらSOSを出してください

     

    あなたが前向きになれる人と手を繋げることを願っています

    苦しいときこそ自分自身のことを大事にしてあげてください

    ACHAプロジェクトについてはこちらから

    http://achaproject.org



    コメント一覧

    返信2017年3月15日 12:42 PM

    鴨崎角栄25/

    僕のこれからの人生においても大変参考になりました。 いつの日か、みんなが笑顔で暮らせる世界が来るといいですね!

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