そだちとすだち
    • 施設、里親、養親のもとで育ち巣立った当事者のインタビューサイト

    小学1年生のときから児童養護施設で育った渡邉僚さん。彼は、施設で生活していることを常に周囲に明らかにしていました。退所後は、新聞奨学生として専門学校へ。専門学校卒業後、自分らしく働ける場所を模索する彼が考える自立とは――

     

    施設にいることを積極的に伝える

    ――生い立ちについて教えてください

    小学1年生のとき、父と母が、「絶対帰ってくる」と言ってでかけたきり、1週間ほど帰って来ませんでした。ずっと帰って来ないので、「捨てられた」と思っていました。父の会社の人が家に来て、「児童相談所(児相)というところがあるけど、行ってみる?」と訊かれました。児相を遊ぶ場所か何かだと思った自分は、軽い気持ちで「行ってみる」と応えました。児相で一時保護されたあと、児童養護施設に行きました。

     

    ――施設に入ったときの印象は

    ただ流れに身を任せて、「ここが新しい家かぁ。ここで生活するんだなぁ」と思っていました。親と離れて暮らすことは、そんなに悲しいことではありませんでした。

     

    ――親との交流は

    小学3年生のとき、久しぶりに両親と会いました。その時はさすがに泣きました。久しぶりすぎて、とても緊張していたんです。「元気にしているか」と訊かれたような覚えがあります。夏休みや年末年始などの長い休みのときに、親から「帰っておいで」と言われたけれど、家に帰るのは嫌でした。施設の子と一緒にいるほうが楽しかったんです。

     

    ――家に帰りたいとは思わなかった

    両親は小学1年生の頃の自分しか知りません。だから、高学年になっている自分に、「ママと呼んでほしい」とか、「手をつないで歩きましょう」って言うんです。親の前では良い子でいたいという気持ちがあって、言う通りにしていたこともありました。でも、あるとき我慢の限界がきて、「恥ずかしいからやめて」と言いました。職員から帰省を促されて、拒んだこともありました。

     

    ――学校ではどのように過ごしていたか

    小学生の頃から、児童養護施設で生活していることを友達に打ち明けていました。隠しても意味がないと思っていました。もともと嘘がつけない性格で、すぐ本当のことを言いたくなっちゃうんです。「俺は児童養護施設っていうところにいて、親が毎日変わるんだぜ」って。授業参観の日には、「この人、今日のお母さん」って冗談めかして友達に紹介しました。友達15人ぐらいを施設に連れてきてサッカーの試合をしたときには、「そんなにたくさん連れてくるな」と職員から怒られたこともあります笑

     

    ――高校でも施設出身であることを伝えていた

    一番うってつけなタイミングは、「メルアド教えて」と友達から言われたとき。「俺、児童養護施設に住んでいるから、携帯電話は持てないんだ」と伝えていました。友達は、「ああ、そうなんだ」って。児童養護施設がどんなところなのかを知らない人は多かったですね。

     

    ――退所後のことを考え始めたのは

    高校3年生の夏ぐらい。将来の目標が明確ではなかったので、大学に進学したいと思いました。だけど、お金が足りません。あるとき、職員が新聞奨学生制度を紹介してくれて、「体も動かせるし、バイクにも乗れるし、おもしろそう」と思い、挑戦することにしました。でも、4年間続ける自信は無かったので、専門学校に行くことにしました。「ITの勉強をしておけばどこでも通用するんじゃないか」という浅はかな考えから、「パソコンネットワーク科」に進むことにしました。

     

    成長と出会いの新聞奨学生

    ――新聞奨学生としての学生生活は

    自分の場合、朝夕に新聞配達をする代わりに、学費+給料を受けていました。新聞販売所の2階が寮になっていて、そこで生活していました。夜中の2時半に起きて、3時半から5時半まで、朝刊の配達。それが終わって学校に行き、眠たい目をこすりながら授業を受けていました。学業と仕事を両立することは簡単ではありませんでしたが、販売所の所長も、そのお母さんも、先輩も、自分を温かく受け入れてくれました。施設を出て世間知らずだった自分の相談にのってくれて、様々なことを教えてくれました。

     

    ――学業との両立が大変そうですね

    自分の場合、夕刊を配達するために、授業を早退しなくてはいけませんでした。だから、プログラミングなどの専門的な授業についていけなくなりました。そこで、ビジネスマナーやワード・エクセル・パワーポイントの使い方、簿記など、広く通用する知識が学べる、「情報ビジネス科」へ転科しました。そこで、今お付き合いしている彼女とも出会いました。

     

    ――転科してパートナーと出会ったんですね

    付き合い初めたころの彼女はとてもネガティブで、けんかをするといつも「私が全部悪いんだ」と泣いていました。一人で抱え込むタイプだったんです。でも、「対等な関係でいたい。だから、思っていることは教えて欲しい」と伝え続けていくうちに、少しずつ言いたいことを言ってくれるようになりました。今では、何でも話せて、困ったときは互いに助け合える関係です。彼女はとても大きな存在ですね。

     

    自分らしく働くことを大切に

    ――専門学校を卒業したあとは

    印刷系の会社に就職しました。給料が安く残業も多かったため、なかなか自分の時間がもてなくなりました。一緒に暮らしていた彼女に家事を任せきりになり、関係がぎくしゃくしていきました。このままではいけないと思い、同期が仕事を辞めていったのを機に、私も仕事を離れることにしました。

     

    ――転職はどのように進めましたか

    仕事を辞める前から、施設の職員に相談していました。施設出身者の就職を支援している団体につないでくれました。その団体の紹介で、障害者を対象とした保険の会社で営業の仕事を始めました。心機一転、新たな気持ちで働いていたのですが、そこで求められる振る舞いはきっちりとしたもので、だんだんと「自分らしさ」が失われていき、精神的に参ってしまいました。でも、紹介で入った会社なので、なかなか辞めることができませんでした。

     

    ――紹介だから辞めにくかったんですね

    誰かの紹介で会社に入ると、より期待されます。以前は「期待に応えなければならない」という思いが強かったのですが、「自分の人生のために仕事をしているのだから、自分を殺してまで期待に応えようとするのはやめよう」と思いました。支援団体の方と相談した上で、支援団体を頼らずに自分の力で仕事を見つけることにしました。

     

    ――それも一つの自立の形かもしれませんね

    そこからハローワークに通いました。担当の方には自分のこれまでの生い立ちを話しました。そしたらすごく応援してくれたんです。児童養護施設の経理・事務の求人があって応募したのですが、「経理・事務をやると、職員の給料までわかってしまう。児童養護施設のことを知りすぎてしまう」ということで、不採用になりました。でも、面接をしてくれた施設長さんが、児童養護施設退所者を対象としたシェアハウスを運営しているNPOの理事をされていて、そのNPOのシンポジウムで登壇する機会をいただいたんです。嬉しかったですね。

     

    ――今後は

    人と話すことが好きなので、やっぱり営業の仕事が向いているのではないかと思います。営業はコミュニケーションがないと成り立たないもので、仕事の中で色々な人の話を聴くことができます。また、自分のがんばりがすぐに結果として表れるのもいいですね。これからもずっと営業の仕事をしていくのではないかと思います。

     

    ――施設で生活している方へメッセージを

    自分らしく振る舞ってほしいです。良い子でいる必要はないと思います。むしろ少しくらいやんちゃしているほうがいい。自分は、施設で何一つ不自由なく生活していて、問題も起こしませんでした。施設にいたときは良かったのですが、退所後、善悪の判断が付けられずとても苦労しました。だから、施設にいるうちにたくさん失敗して、たくさん職員に怒られて、善悪の判断を身につけてほしいです。



    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

    日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)