• 施設、里親、養親のもとで育ち巣立った当事者のインタビューサイト
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    施設を退所後、専門学校で漫画を学び、在学中にデビューを果たした佐藤みすずさん。この春、専門学校を卒業し新たな生活のスタートを切った彼女は、「できて当たり前のことができない」苦悩に直面しています。それでも前を向き続ける彼女の原動力とは――

     

    私は発達障害かもしれない

    ――専門学校を卒業して新生活が始まったそうですね

    実は今、生活や仕事が全然うまくいっていません。私には発達障害の傾向があるのですが、最近までそのことに気付いていなかったんです。施設にいた頃、私は職員さんからたくさんの愛情を受けていて、生活に困ることもありませんでした。周りに助けてくれる人がいたので、自分で考えなくても何とかなっちゃったんです。学校では芸術や学業でたくさん表彰を受けて、リーダーシップも発揮していました。施設の職員さんからは、「みすずちゃんを見習って」と、みんなの手本のように扱われていました。だから、「教わらなくても自分はできる」と勘違いしていたんです。

     

    ――施設を卒園した後に「困り感」が表れた

    スケジュールの管理や部屋の片付けできず、辛かった。ネットで解決策を見つけて試してみても、どうしてもできない。「できる人にとっては難しいことじゃないのに」と、悩んでいました。そんなとき、施設の職員さんに相談すると、優しく慰めてくれました。その時は幸せな気持ちで、「またがんばろう」と思える。でも、根本は何も変わっていないから、また同じ失敗を繰り返す。その度に相手に迷惑をかけ、悲しませてしまう。そのことに罪悪感がありました。そのうち、「もう相談しなくてもいいや」となって、余計に孤独になりました。

     

    ――「発達障害かも」と気付いたきっかけは

    ほんの最近のことです。職員さんが、「最近、施設で発達障害の子が増えた」と言っていて、発達障害について調べたら、自分にもよくあてはまることに気付いたんです。発達障害の傾向があることを自覚してからは、同じような悩みを抱えている人たちが他にもいっぱいいることがわかりました。そういう人たちの日常生活における気付きや工夫を調べて真似していったら、ちょっと気持ちが楽になりました。

     

    母が亡くなり兄妹で施設へ

    ――いつから絵を描くことが好きでしたか

    施設に入る前からずっと好きでした。油絵をやっているお母さんと、墨絵が好きなおじいちゃんの影響で、物心がついたときには絵を描いていました。小学3年生のときに、種村有菜先生の『紳士同盟クロス』を読んで、「この絵、かわいい」とお兄ちゃんに言ったら、わざわざ本屋で単行本を買ってきてくれました。それからは少女漫画を読み漁って、描きまくって。施設に入ってからも「こんなに漫画が集まったよ!」と自慢して、「引っ越しのときに大変だからやめなさい」と怒られる、みたいな笑 とってもいい思い出です!

     

    ――施設での生活が始まったのはいつですか

    入所したのは9歳のとき。両親は離婚していて、お母さんがずっと一人で私とお兄ちゃんを育てていました。ある時、お母さんが癌になり、入退院を繰り返して、結局亡くなってしまいました。その後、おばあちゃんにお世話になっていたけど、おばあちゃんも肺炎になってしまい、児童養護施設を頼ろうということになりました。

     

    ――施設に入所したときの印象は

    すごくわいわいしていて楽しい。みんな元気で騒がしくて、グループホームではなく大きな施設だったから、ドタバタした生活だったけど、マイナスなイメージはありませんでした。

     

    ――施設で生活していることをオープンにしていましたか

    完全にオープンでした。友だちに「遊びに行っていい?」と言われると、「来てもいいけど、ちょっと特殊だよ」と説明して。友だちは、「遊ぶ場所がいっぱいあるー!」と楽しんでくれました。職員さんたちも優しいし、私の友だちと施設の子たちが仲良くなって、みんなで遊んだり、テレビを観たりしました。私が生活していた施設がある地域は、「あと一歩で施設に来るんじゃないか」という一般家庭の子も多くて。学校の先生も施設に理解がある人が多く、施設の外の子たちからも差別的な扱いを受けることはありませんでした。

     

    だから夢をあきらめない

    ――漫画家を志すようになったのはいつですか

    中学3年生のときです。「漫画家になるために、絵をうまくかけるようになりたい」と、吹奏楽部から美術部に転部しました。ところが、美術部では油絵に夢中になりました。高校で入った美術部はとても盛んで、美大を目指して、予備校に通う人もいました。私には美大に通う経済的な余裕が無かったけれど、油絵に没頭していきました。美大への進学は諦めざるを得なかったけれど、絵を描くことは続けたかった。悩んでいるうちに、小さい頃から漫画が大好きだったことや、そもそも漫画家を目指して美術部に入ったことを思い出し、漫画家になるための専門学校に進学することを決めました。

     

    ――進学に向けて準備したことは

    職員さんから紹介されて、ブリッジフォースマイルのカナエールというスピーチコンテストに出場しました。自分は目立ちたがり屋だったので、「スピーチコンテストっておもしろそう」と思い、参加することにしました。でも、スピーチの原稿を考えていたら、「お客さんに納得してもらえないんじゃないか」と心配になっちゃって、言いたいことがだんだんずれて、本当に言いたいことがわからなくなっていきました。それでも、いろんな人が一緒に考えてくれたおかげで、本当に伝えたいことを形にすることができました。

     

    ――スピーチではどのようなメッセージを

    自分が納得できる人生を送りたいし、それを示すことで、後輩たちに「自分も納得できる人生を送ることができる」ことを知ってほしいということ。そして、「施設は大変」という見方があるけど、愛情深く育ててくれた職員さんにとても感謝していることを伝えました。

     

    ――施設を退所したあとは

    施設出身者をサポートするシェアハウスで生活しながら、専門学校に通いました。漫画家になるために専門学校に入ったのに、課題をこなすことがつらくて、絵を描くことが苦痛になっていきました。2年目からは出版社の担当編集者が付くようになって、学校の負担は減ったんですけど、今度は仕事がうまくいかなくて。在学中に読み切り作品を発表することができたのですが、だからといって順風満帆ではありません。プレッシャーがかかると、自己表現ができなくなって、漫画が描けなくなったり、担当編集者との報連相ができなくなったり。それで一度担当編集者からの信頼を失いかけて、なんとか挽回している最中です。

     

    ――困難な状況でも前を向き続けられる原動力は

    プロの漫画家として、「連載を持つ」という目標があるからです。先日、読み切り作品が掲載されたことを報告するために、お世話になった専門学校の先生に会いに行きました。先生はとても喜んでくれました。そのときの笑顔がすごく嬉しかったし、またその笑顔を見たいと思いました。連載作品をもつことは一人前の証で、私にとっては一つの自立の形です。それを実現することができれば自信につながるし、私に期待をして支えて続けてくれている担当さんに報いることができます。私はこれまでたくさんの人に支えられてきたので、お世話になった人たちに自立した姿を見せたいと思っています。

     

    ――施設で生活している人たちへのメッセージを

    直接関わった後輩たちは大好きだし、私が会ったことのない、施設で生活している人たちも他人事ではないなと思います。みんなすごくがんばっていて、でも、「自分は全く頑張ってないかもしれない」と感じている人もいて。そういう生きづらさと戦っている人が少なくないと思うんです。そのつらさは、自分のせいではないので、あまり自分を追い詰めないでほしいです。立派じゃなくてもいいから、とにかく生きていてほしい。私も立派じゃないので、一緒にあがいて、一緒に自立していこうという気持ちです。

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