そだちとすだち
    • 施設、里親、養親のもとで育ち巣立った当事者のインタビューサイト

    児童養護施設から大学に進学し、施設の職員になった佐々木保徳さん。結婚し、新しい家族を築いています。当事者から職員へ、子から親へと立場を変え歩んでいく保徳さんの原体験とはーー

     

    褒められることで成長につながる

    ――施設に入ったのはいつですか

    小学4年生の頃から、親と児童相談所(以下、児相)に通っていました。6年生のとき、病院に3か月間入院しました。そこに児相の職員が来て、児童養護施設(以下、施設)に入ることになりました。施設に入った日、「ここがあなたの家ですよ」と施設の職員に言われました。洋服やランドセルなどが届けられているのを見て、「捨てられた」と思い、ずっと泣いていました。でも、同室の先輩や職員が優しく声をかけてくれて、落ち着くことができました。親とは誕生日に連絡をとり、その後会いにも来てくれました。そこで、捨てられたわけではないことがわかりました。

     

    ――施設に入った理由は

    私の家は母子家庭で、母、兄、妹と4人暮らしでした。兄と妹は母と仲が良かったのですが、私はそこに溶け込めませんでした。母も、「どう育てたらいいかわからない」という状態でした。定期的に通っていた精神科の先生の「きちんとした養育環境での生活が望ましい」という所見もあり、施設に入ることになったそうです。

     

    ――中学時代は

    元々、勉強が苦手でした。授業についていけず、中1の1学期の成績は1か2。夏になって、施設の学習ボランティアの方が勉強を教えてくれるようになりました。その方は40代で、通信制高校に在籍。教えるのが難しい内容も、次の授業までに調べて、わかりやすく教えてくれました。その人のおかげで、全くできなかった英語の成績が2、3、、と上がり、最終的には5に。成績が上がると、職員が褒めてくれました。認めてもらうことが嬉しくて、がんばれたんだと思います。

     

    ――苦手な勉強を克服していった

    でも、いいことばかりではありません。小学生の頃からずっと担当だった児童福祉司(以下、福祉司)が、中学2年生のときに変わりました。それも、職員から聞いたわけではなく、たまたま書類を見てしまって。すごくショックで、朝まで泣きました。そのまま学校に行って施設に帰ってきたら、福祉司が来ていました。「実は、変わることになったんだ」と、話してくれました。そのとき、「担当じゃなくなったのに来てくれて、いい人だな」と思いました。その方とは、施設の卒園式や成人式、就職したときにもお会いして、今でもメールでやりとりをしています。

     

    ――退所後の進路について考え始めたのはいつですか

    中学3年生のときです。山口に、施設出身者を対象とした奨学金制度がある大学ができたことを職員が教えてくれました。児童福祉に興味があった私は、学費が安く、実家から離れられることもあり、そこへ進学したいと思いました。高校に入り、「進学のために100万円貯める」という目標を立て、コンビニでアルバイトを始めました。売り場づくりや発注を任されて、結果を出しました。それが認められて、重要な会議にも出させてもらえるようになりました。「何かあったらいつでもウチで雇うよ」と言ってもらえたことが嬉しかったです。

     

    別れと孤立、それでも前へ

    ――施設での生活は

    高校2年生のとき、施設が都から民間に移譲され、職員が全員入れ替わりました。お世話になった人がいなくなることに納得がいかず、新しい職員に対して反発していました。職員が悪いとは思っていなかったのですが、不満をぶつけられるところが限られていたので当たってしまったんです。精神的に辛く、無気力になりました。気分の起伏も激しくなったので、薬の服用が増え、多い時には1日に11錠も飲んでいました。

     

    ――進学への影響は

    奨学生の試験を経てAO入試に合格する必要がありましたが、1回目のAO入試を見送りました。何もする気が起きず、書類の提出が間に合わなかったのです。2回目の試験も見送ろうとしていたある日の夜中、職員からの手紙に気付きました。「今回も見送るなら、辞退しましょう。やるかやらないか、決めて下さい」。職員との関係はぎくしゃくしていましたが、福祉司になるという目標は諦めていませんでした。だから、大急ぎで書類を作りました。翌日学校で書類のミスが判ったのですが、職員が新しい書類をわざわざ学校に届けてくれました。また、職員が事情を説明して、大学に直接書類を提出しに行ってくれました。それを聞いて「助かった、ありがたい」と思いました。

     

    ――施設を離れる際は

    卒園式には、学習ボランティアの方、児相の福祉司と心理司が来てくれました。退所の日、朝5時の出発にも関わらず、職員だけでなく子どもたちも見送ってくれたことが嬉しかったです。大学で寮に入ることになったのですが、職員が山口まで来て、生活に必要なものを一緒に揃えてくれました。施設の後輩や職員の応援を受け、前向きな気持ちで施設を発ちました。しかし、集団生活から一人暮らしになったことがすごく辛くて、しばらくは施設の職員に毎日電話をしていました。

     

    ――大学生活は心細いものだった

    友人とうまくいかず、孤独でした。次第に、頑張る理由がわからなくなっていきました。精神的に辛くなり、社会福祉士と保育士の資格取得を一度は諦めました。しかし、3年生の終わりに、同じ施設出身の一つ上の先輩の卒業式に施設の職員が来たことが転機になりました。卒業できるのか、資格が取れるのかを、大学の先生に確認してくれたんです。保育士の資格はまだ間に合うことがわかり、悩んだ末にもう一度挑戦することにしました。4年生になってからは、夕方から朝までバイトして生活費を稼ぎながら、三つ実習をして卒業論文も書きました。

     

    児童養護施設で働き、家族を築く。

    ーー卒業後は

    実家から通える児童養護施設へ就職しました。一度は実家に帰ったのですが、そこでの生活に耐えられなくて、彼女と一緒に住むことにしました。彼女とは、昨年の8月に結婚しました。中学3年生で初めて付き合った、同じ施設の人です。高校は別の学校に行き、別れてしまいました。その後、顔を合わせることはあっても、あまり会話はせず。でも、卒園式のあとに仲直りをしたんです。大学で離れ離れになったんですけど、山口にわざわざ会いに来てくれたこともありました。お互い、忘れることができなかったんですね。それでも、6年間離れていて、よくよりを戻したなと思います。

     

    ――どのような家庭を築きたいですか

    正直、家庭のイメージは持てていません。でも、子どもには愛情を持って接したい。親として決めなきゃいけないことがあると思うんですけど、強要はしたくないですね。家にいるときには「親むかつく」と思われてもいいと思うんですけど、家を出た子どもに「愛情をくれていたんだ」と思ってもらえるような親でいたいと思います。子どもと三人で楽しい家庭を作りたいですね。

     

    ――施設職員になってみて

    「子どものことは誰よりも解かる」という気持ちで働き始めたものの、子どもが何を考えているのか解からない。そのギャップに苦しみました。また、「認めてほしい」という気持ちから、周りの顔色を伺っていました。それを同僚から指摘されたけれど、どうすればいいかわかりませんでした。あるとき、私の勤務日にトラブルが立て続けに起こりました。同僚と一緒に原因を考えたことで、自分の問題と子どもの問題を分けて考えられるようになりました。そこから気持ちも切り替えられて、子どもと適切な距離感で関われるようになりました。

     

    ――施設職員として大切にしていることは

    二つあります。一つは見捨てないこと。中2~高2まで担当だった女性職員は、私がキレて物に当たったときも、日々変わらずに接してくれ、ダメなときはダメと、ぶつかってくれました。見捨てずに関わり続けてくれる人がいたから、今の自分があると思うんです。だから私も、「必要なときにはぶつからなければ」と思っているし、「見捨てない」という強い思いがあります。

    二つ目に、たくさんの人たちと出会う機会を子どもに提供すること。そのために、子どもたちに提供できる情報をどれだけ自分が持っているかが大切だと思っています。今は情報収集の時期で、私自身がいろいろな人たちとの繋がりを持つようにしています。やがて自分がリーダーになったときに、子どもがたくさんのいい人と出会えるようにしたいです。

     

    ――施設で生活している子どもたちにメッセージを

    ありのままの自分を認めてほしい。そのために、やりたいことをがんばってほしいです。施設にいるうちにやりたいことをたくさんやって、失敗を経験することが大切です。応援してくれる人、支えてくれる人は必ずいます。独りになることは絶対にありません。だから、怖がらずにこれからも挑戦して欲しいです。



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