そだちとすだち
    • 施設、里親、養親のもとで育ち巣立った当事者のインタビューサイト

    ブレイクダンスの大会『ばぶりしゃす!?』で優勝した陳万里さん。万里さんをダンスの世界に導いたのは、児童養護施設で出会った大学生でした。逆境にめげることなく、チャレンジを続ける万里さんに話を伺いました――

     

    ――生い立ちについて教えてください

    私の両親は、万里の長城で出逢いました。父は中国人で、通訳の仕事をしていました。私が3歳のときに離婚して、父は中国へ帰っちゃったんです。だから、顔も声も覚えていません。連絡先がわからないので、今は生きているかどうかすらわからない。20年前の日本は、外国人労働者に対する世間の目はもっと厳しく、生きづらかったのではないかと思います。その後、母が働きながら一人で私と妹を育ててくれたのですが、小学3年生のときにがんで亡くなり、翌年には祖父も亡くなってしまいました。祖母も、二人の子どもを育てることは難しかった。だから施設に入ることになりました。

     

    ――施設に入ってからは

    施設にいるというだけで、一般家庭の人と比べて、勝手に劣等感を感じていました。自信がないから、自分の内側から湧き出る「楽しいことをしたい」という欲求が制限されて、不満が溜まります。いろんな色の絵の具を水に入れて、ずっとぐるぐるかき混ぜているみたい。不満が不満を呼んで、ずっと何かのせいにしていました。でも、ダンスと出会って、それはもったいないことだと気付きました。

     

    ダンスとの出会いが自分を変えた

    ――ダンスを始めたんですね

    高校1年生のとき、施設の宿直に、ダンススタジオで先生をやっている大学生が来たんです。私は「師匠」って呼んでいます。師匠に、「ダンスをやりたいんですけど、何が良いと思いますか?」と相談したら、即答で「ブレイクダンスしかない」と。それがきっかけで、友達とスタジオに通い始めました。高校1年生の秋には、師匠と一緒に、初めて舞台デビューしました。その友達は、今でも同じチームで活動している親友です。

     

    ――ダンスを始めてどのような変化が

    師匠は自分で技を考えて、自分の身体を試しながら形にさせていくスタイルです。だから、自分と向き合うことが多いんです。身体能力を鍛えるのもそう、表現をするのもそう。人を真似て評価されるより、自分と向き合って作ったものを評価されるほうが、断然嬉しい。今年の春、未経験者限定の大会「ばぶりしゃす!?」に出場して、優勝しました。好きでやっていることが一つ形になったんです。施設にいなかったら、ダンスに出会えていなかった。だから、施設に入ってよかったと思っています。

     

    悩みが自分を成長させる

    ――施設の職員との関わりは

    私がいた施設は、良い意味でも悪い意味でも子どもに甘い人が多かったと思うんです。何をすればいいか、全部言ってくれちゃう。施設を出たあと、何をすれば良いのかわからなくなってしまいました。子ども預かる立場だから、どうしても子どもの行動を制限することが多くなっちゃうと思うんですけど、ある程度選択させてあげて、それを見守ることも必要だと思います。自分で考えて自分で選ぶ経験をしないで、施設からポーンと出されて、「あとはご自由に」と言われても無理ですよね。

     

    ――あまりチャレンジをさせてもらえなかった

    『ファンディング・ニモ』(ニモという魚の子どもがはぐれて、お父さんとニモの友達が探しに行く物語)で、お父さんとニモの友達のやり取りで、「これだ」と思った場面があります。お父さんが「亡くなったお母さんと、『あの子には何も起こらないようにする』と約束したのに」と言います。それに対してニモの友達が、「子どもに何も起こらないようにしたら、子どもは何もできないわ」と返します。施設の職員もニモのお父さんのようになりがちですよね。できるだけトラブルが起きないようにして施設から出ていってもらおうとする。それが子どもの幸せつながるかとは思いません。「自分で考えなさい」「自分で決めなさい」と厳しく言ってくれた職員は、その時は苦手だったけれども、今では尊敬できる人です。

     

    ――厳しく接してくれる職員もいた

    施設にいるときは「親でもないのにうるせーな」と思ったりもしました。けど、今となっては関係ありません。あるラッパーの曲の、「過ごした時間は血よりも濃い」という歌詞が心に残っています。施設の人との関わりはまさにそれでした。がんばっていれば認めてくれますし、卒園しても応援してくれているので、今はそれで十分です。

     

    遠回りしたその先に

    ――現在の状況を教えてください

    昼間に仕事をして、夜は大学へ通う生活をしています。高校時代、進学費用を工面することは難しく、卒業後は就職するしかないと思っていました。けれども、高校の先生が、大学の夜間部に通う学生であることを条件に採用している会社を見つけてくれました。そこに勤めて4年目です。製紙会社から紙を買って裁断し、印刷会社に売る会社です。1年目は仕事が辛すぎて、辞めようと思っていました。でも、「こんなことで投げ出していたら、この先辛いこと乗り越えられない」という思いがありました。最近では、新入社員に仕事を教えたり、寮生活の中で様々な相談にのったりと、職場の中に自分の役割があり、充実しています。

     

    ――大学に行こうと思ったのはなぜですか

    小学校の先生に昔からなりたくて。施設に入るときに、担任の先生がすごく親切にしてくれたんです。その先生のようになりたい。ただ、今は遠回りしていますね。高校卒業する時は、大学には必ず合格しなければならなかった。けれども、指定校推薦で入れる大学には教育学部が無かった。だから経済学部に入りました。でも、経済学部だと小学校の先生になるための免許は取れません。今の大学を卒業した後、通信制の大学に入り直して、免許を取る予定です。今年から、施設のあった自治体に、東京都と同じくらい条件の整った奨学金の制度ができたので、お世話になろうと思っています。

     

    ――小学校の先生を目指しているんですね

    はい。ただ、小学校の先生は最終的なゴールです。今は、やりたいことがいくつかあります。まず、ダンスでどこまでできるのか挑戰したい。今度、初めて大会を運営するんです。それを大きくしていきたいですね。あとはディズニーが大好きなので、ディズニーのダンサーをやりたい。それから、万里の長城に行きたい。父と母がどんなところで出会ったのかを知りたいです。いろいろなことをやって、遠回りをメリットにしていきたいですね。ただ教科書読んで、生徒を手懐けるような教師にはなりたくないです。もし社会がそれを求めているなら、自分達で変えていく必要があると思っています。

     

    ――最後に施設にいる子どもたちにメッセージを

    まず、悩みが自分を成長させるということ。悩みっていうとネガティブな感じになっちゃうんですけど、悩まないと成長していかない。悩んだ分だけ、きれいな花が咲くんです。それは間違いない。たった21年しか生きてないけど何回もそれを経験しました。次に、劣等感を正しい方向に爆発させてほしい。大切なことは、「ここで爆発させよう」と、自分で選ぶこと。そして、何か形になるものに表現すること。それを評価してくれるひとはどこかに絶対います。最後に、結局は自分で選んだ道を正解にするしかないということ。自分は今、遠回りしているけれど、後から振り返った時に「正解だ」と思えるように、頑張っています。正解がないから、正解を選べるし作ることができる。「施設にいて正解だった」と思えていることが幸せだし、あなたが私のメッセージを読んで何かを感じてくれることが喜びです。支えてくれる人を感じることができれば、頑張れなくても顔晴れ(がんばれ)ます。楽しんで生きましょ。Keep going…



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