• 施設、里親、養親のもとで育ち巣立った当事者のインタビューサイト
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    両親が離婚したあと、がんで母を亡くした大池ひかりさん。児童養護施設の暮らしは、彼女にとっては窮屈なものでした。彼女が施設を離れたあとに直面した困難と、彼女を支えたものは――

    両親の別れ、母との別れ

    ――生い立ちについて教えてください

    両親と、二つ下の弟と4人で暮らしていました。3、4歳のころ、二人がときどき口喧嘩をしていたことが、記憶にうっすらと残っています。お母さんはその後、乳がんで入院しました。お父さんは優しかったのですが、幼稚園には連れて行ってくれず、同じクラスの友達のお母さんや親戚にお世話になりました。小学生になる前のある日、お母さんに「苗字どうする?」と言われました。その時はよくわからなかったのですが、小学校1年生のとき、お母さんが友達のお母さんと離婚について話している様子をみて、「あぁ、うちは離婚したんだな」と思いました。

    ――その後は、お母さんと弟と3人暮らしだったんですね。

    はい。お母さんが家にいるときは、毎日「学校でこんなことがあったよ!」と、お母さんに話していました。一緒に料理を作ったこともいい思い出です。でも、がんが進んでいったお母さんは、入退院を繰り返すようになりました。私が小学3年生になったころ、弟はまだ小学1年生でした。お母さんは病を押して弟の入学式には来たのですが、5月に亡くなってしまい、その月の運動会に来ることはできませんでした。お母さんは弟の初めての運動会を見たかっただろうし、弟もお母さんに見に来てほしかっただろうと思います。

    ――母が亡くなったあとは
    3、4年生のころは、おじいちゃん・おばあちゃんに育ててもらいました。でも私は反抗期で、二人に迷惑をかけていました。二人が嫌いなわけではなかったのですが、考え方が合わなくて、私は言うことを聞きませんでした。

    児童養護施設へ

    ――施設に入ったのはいつですか

    お母さんが入退院を繰り返していたころから、家の近くにある児童養護施設にショートステイしていました。初めてそこに行ったとき、人見知りの弟が、「行きたくない」、「帰りたい」と、入り口で凄くぐずりました。私も「嫌だ」と言って、泊まらずに帰ったこともありました。小学4年生が終わるころに児童相談所に行き、そこで1か月ほど生活しました。そこで児童福祉司さんに、「児童養護施設に入る?」と訊かれ、「嫌です」と応えたことを覚えています。ショートステイの経験から、その施設には行きたくないと思っていたんです。でも、5年生になるときに、ショートステイしていたところとは別の施設に入ることになりました。

    ――施設に入った頃の印象は

    「きれいな場所だなぁ」と思いました。でも、部屋に一人でいるときは寂しさが増しました。職員さんとの関わりは、初めは少しずつ話していく感じ。でも、慣れたらすごくたくさん話していたと思います。周りの子たちとも話すようになりました。

    ――中学生になってからは

    中学に入ると、バスケ部に入りました。そこで私は仲間外れにされて、軽いいじめを受けました。学校はすごく荒れていて、怖かった。部活でもクラスでも、人間関係がうまくいかなくて、しんどかったです。何度か学校に行かなかった時期もありました。中学3年生のとき、新しくできたボランティア部に入りました。顧問の保健室の先生に誘われたのがきっかけです。老人ホームでハンドベルや琴を演奏する機会があって、楽しかった。秋に学校の学芸発表会でも披露しました。活動に集中しているときは楽しく、居心地の良い場所でした。

    ――高校に入ってからは

    入学してすぐに、前の席の子と仲良くなりかけました。でも、私はケータイを持っていないので、連絡する手段がありませんでした。ケータイを持っている子同士でどんどん仲良くなっていって、その場に居づらくなりました。当時mixiが流行っていたんですけど、そのことも全然わかりませんでした。施設では、バイトしてある程度お金を貯めないと、ケータイを持つことができなかったんです。また、朝のニュース番組でやっている芸能ニュースの話題にもついていくことができませんでした。施設では小さい子がいることもあって、朝テレビを見ることができなかったんです。施設のルールに不自由さを感じることも多かったです。

    ――施設で生活していることを周囲は知っていましたか

    知っていました。中学までは地域に学校があるので、施設のことをわかっている人が多かった。それに、施設から通っている子もたくさんいました。だから、自分が施設で生活していることはあまり気になりませんでした。高校のときは、周りの人は施設について全然知らない感じでした。でも、全部打ち明けていました。「自分のことを知ってほしい」という気持ちが強かったのかもしれません。ケータイ持っていない理由を、「施設で生活しているから」と説明していました。

    ――施設を退所したあとのことを考え始めたのは

    本格的に考えたのは高3に入ってからでした。大学に行くか、それとも専門学校に行くか、すごく悩んでいました。結局、パティシエを目指して、専門学校で勉強することにしたんです。

    施設を離れたあとに直面する困難。それでも前へ

    ――施設を出たあとの生活は

    できればおばあちゃんの家に帰りたかったんですけど、それはできませんでした。施設を出るとき、「施設での厳しい生活からやっと自由になれる」と、一人暮らしへの期待が膨らみました。でも、昔からさみしがり屋だったこともあり、不安も大きかった。施設を出たあと、18、19歳のころは毎日が辛かった。専門学校も、最初の1,2か月はがんばったんですけど、クラスメイトに馴染めなくて、授業にもついていけなくなっちゃって。バイトと学校と生活でいっぱいいっぱいになってしまいました。周りと比べてしまうところがあって、「何で自分だけできないんだろう」と悩んでいました。結局、専門学校は中退してしまいました。

    ――今年の夏、演劇の舞台に立たれていましたね。

    劇団に所属する友達に誘われて、2年前に1度舞台に立ちました。その時、お芝居が楽しいと思いました。今回の舞台はアイドルの役でした。1度目の舞台よりも感情の起伏がはっきりしている役なので難しかったのですが、その分演技の幅が広がり、成長することができました。自分とは違う人間を演じることで、新しい自分を見つけられるし、人に喜んでもらえると嬉しいですね。

    ――最近は仕事でも変化が

    飲食店でアルバイトをしているのですが、悩み事があってよく眠れず、疲れが溜まって体調不良になることがありました。あるとき店長に、「実は私…」と、自分の心の問題を打ち明けました。店長は「そうなのか、教えてくれてありがとう」と言ってくれました。店長の近しい人にも同じような問題を抱えている人がおり、受け止めてくれました。やっと本当のことが言えて安心したし、嬉しかった。店長は周りの人たちに事情を説明してくださって、シフトも配慮して下さり、周りの人たちも変わらず優しく接してくれました。

    ――今後、実現したいことは

    ラジオが大好きで、ラジオ関係の仕事に就きたいと考えています。小学校6年生のとき、好きだった俳優さんのラジオ番組を聴きはじめ、中高生のときには学生に人気のある、某ラジオ番組にハマっていました。パーソナリティへの憧れもありますが、裏方にも興味があります。将来的には構成作家にもチャレンジしたいのですが、ラジオに関わる仕事であればどんなことにも挑戦してみたいです。

    ――最後に施設で暮らしている中高生のみなさんに向けてメッセージを

    一人で悩まないで、少しずつでも相談できる人を見つけてほしい。困ったら、「頼って良いんだ」と思ってほしいです。

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