• 施設、里親、養親のもとで育ち巣立った当事者のインタビューサイト
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    高校2年生のとき家出し、友人宅に身を寄せていた高坂さん。進学校に通いながら進学を希望しないことを不審に思った学校の先生との関わりを機に、児童相談所にかかるように。ジャイアンのお母さんのような里親を期待して、3年生の春から始まったファミリーホームでの生活はーー

     

    「もぐらごっこ」は嫌われたくないから

    ――里親家庭での生活は

    嫌われたら追い出されると思い、愛想良く振る舞っていました。里親さんとは敬語で接していました。もうすぐ18歳になる私に対して、里親さんも遠慮していたんだと思います。次第に私は、無気力で何もできなくなり、部屋に閉じこもりがちになりました。お手伝いしなきゃと頭ではわかっているんですけど、動けなくて。本当の自分を知られたら嫌われると思い、新しく人間関係を築くのもきつくて,一人になりたかったんです。ひょうきんな里父さんに、「またもぐらごっこしてる」と言われて、愛想笑いで返すんですけど、次第に「もぐらごっこしてきます笑」と言えるようになって、少し楽になりました。

     

    ――進学を決めたのは

    もともと進学なんてできるわけがないと思っていたんですけど、里親さんに「今までかつかつで生きてきたのだから、ゆとりがあるほうがいいんじゃない」と、進学を勧められました。里親さんが奨学金の資料をたくさん集めてきてくれて、いくつか受けられることになりました。奨学金の中には、福祉・教育の学部に進むことが給付の条件になっているものがあったので、保育課程に進みました。子どもは苦手だったんですけど、他にやりたいことが見つかればそっちへ移ってもいい、くらいのつもりでした。

     

    ――高校卒業後も里親さんのもとに

    学費や生活費を計算して、授業とアルバイトが両立できるかを考えたときに、現実的ではないことがわかりました。すると里親さんが、「自立援助ホームにならって3万円はもらうけど、うちにいればいいよ」と言ってくれたんです。

     

    ――里親さんのもとで始まった大学生活は

    大学デビューしました笑 カラオケや映画館に行ったり、髪を染めたりとか。かわいいもんですよね笑 でも頭の隅では、「そんなことをしていたらいけない」とわかっていました。里親さんのご厚意のおかげで現状があって、お金を貯めて早く出ないと里親さんに負担がかかる。それに、私が出ていけば私の分の部屋を他の子が使える。いずれは一人暮らしをしなければならない。

     

    ――里親さんとの関係は

    本当は里親さんと一緒にいたくない。里親さんが嫌いなわけではなくて、私にとって他者と親密な関係を築くことは難しく、苦しいことだったからです。本当の自分ではいられなかった。だから夜中に帰ってきて、朝早く出ていくのを繰り返していました。それが重なると余計に顔を合わせづらくなって、居場所がなくなっていきました。「嫌われたくない」から、「もうどう思われてもいい」、「そもそも接しなければいい」と、心を閉ざしていきました。だからちょっと険悪な雰囲気になってきたんです。あるときお互いにバーンと爆発して、いろいろなことを言われました。「私も言わないと」と思い、5,6時間ぐらい話しました。そのとき初めて、「死にたい」と思っていることを伝えました。

     

    「死にたい」気持ちを吐き出した

    ――死にたいと思っていたんですね

    私は、小さいときからずっと「お前なんか生まなければよかった」と言われ続けていて、生きる意味が見つからなかった。それなりに楽しいし、なんとかなっていくんだろうけど、今この瞬間に車に轢かれて死んでもいいや、みたいなふわふわした感覚でした。「里親なんて他人だし」と諦めていました。でも本当は、一人だけでもいいから、私を心の底から大切にしてくれる人が欲しかった。それに私は人の役に立つことをしている訳でもない。自分のことを生きている価値の無い人間だと思っていました。「自分はなんて性格が悪いんだろう」と、自分を責めていました。

     

    ――里親さんからはどんな話を

    里親さんに、「死にたいって言うけど、それはもったいないよ」、「あなたはこんなこともあんなこともできるじゃん」と言われました。仕事もあるのに明け方まで話してくれて、里親さんが私のことを見てくれていたことを実感し、感謝の気持ちがわいてきました。自分をさらけ出せたおかげで、「良い子のふりをしなくてもいいや」と思えて、里親さんとも少しずつ関わることになっていきました。それでも、関係が回復するのに1年はかかりました。

     

    役割をもつことで居場所が生まれる

    ――里親さんとの関わりが回復していった

    大学3年生のとき、「ファミリーホームの養育補助をやってみない?」と言われました。外でバイトをするよりも収入が減るけれど、「3万円納めてもらっていたのは1万円でいいから、みんなでご飯を食べよう」と。ご飯をつくったり、他の里子の勉強をみたり、洗濯物干したりと、家の中に役割ができました。仕事だからきちんとやらなきゃいけないという意識もあって、ちゃんと起きられるようになりました。子どもは懐いてくれるし、里親さんたちからも感謝されるので、家に居場所ができました。でもそれは大学3年生の私だからできたことで、高校生のときや大学1年生のときに頼まれていたらできなかったと思います。3年間の「もぐらごっこ」を経てやっと。里親さんもタイミングを見ていたのかなと思います。

     

    ――養育補助の仕事を始めてどのような変化がありましたか

    養育補助の仕事を始めて、大学に行っているとき以外は里親さんと過ごすようになると、仲睦まじい様子やお金と時間の使い方などを、間近で見られるようになりました。そこで、里親さんのすごさに改めて気付きました。また、日課にのって働けるようになったことは、自立に向けての自信になりました。その頃、心理学の勉強も始めました。うまく行かなかったことが自分の努力不足ではなくて、育ってきた環境からの影響だったことや、お母さんもまたしんどい状況だったことなど、いろいろなことがわかるようになりました。すると、すごく生きやすくなったんです。

     

    ――大卒後は児童養護施設に

    ファミリーホームで養育補助の仕事を初めてしばらく経つと、心に余裕が生まれて、子どもがかわいなと思えるようになりました。子どもの成長に面白さを感じ、「児童養護施設で働けるかもしれない」と思うようになりました。住み込みで働けること、乳児院から児童養護施設まで運営していることなどを条件に、就職場所を決めました。

     

    ――働いてみてどうですか

    最初は乳児院に配属されました。かわいいんですけど、いろんなケースで来ている子がいて、親も相当辛そうで。「この子たちの将来のために、何ができるだろう」と考えて、大学生のときよりも勉強するようになりました。すると、子どもたちとの関わりがやりやすくなってきて、すごく楽しくなりました。一方で、施設の慣習や形だけの小規模化に違和感もありました。心理士の立場になれば、子どもへのよりよい関わり方について説得力のある説明ができるようになるのではないかと思い、大学院で心理学を学ぶことにしました。

     

    ――大学院で学んでみていかがですか

    心理学は科学的なものだと思っていたんですけど、実際には主観による部分も大きいことに驚きました。だから個人の資質を磨くことが大切で。一人ひとりに合ったケアをするためには、勉強と実践の両方を積んでいく必要があるんですね。勉強を進めるほど、分からないことも増えていて。心理士として施設で働くという当初の目標に迷いが生まれました。でも、目の前のことを一生懸命やっていたらいろいろな道が拓けるだろうから、その時々の自分で、選んでいけたらと思っています。

     

    ――最後に、施設や里親家庭のもとで生活している子どもに向けてメッセージを

    「今の私が昔の自分に声をかける」という視点で考えたんですけど、「無理ができないときは無理をしなくていいんだよ」って。当時、やろうと思っているのに動けない自分を強く責めていたんですけど、今振り返れば、それは必要な充電期間だったんだぁって。逃げすぎて取り返しのつかないことになったらまずいので、さじ加減も見極めながらですけどね。

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    コメント一覧

    返信2018年4月8日 6:57 PM

    田村順三23/

    書いてくださって有難うございます。私は2006年まで13年間 里親でした。その頃、このようなサイトはありませんでした。当時の里親会や児童養護施設と較べて 今は田舎でも 少し良くなっています。加齢のため もう あまりカキコミしなくなりましたが 下記を書いています: 里子・里親/田舎のブログ http://ameblo.jp/itachineko2016/

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