• 施設、里親、養親のもとで育ち巣立った当事者のインタビューサイト
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    5歳のときに母が亡くなり、児童養護施設に入った向井啓太さん。幼い頃の向井さんにとって、施設での経験はつらいものでした。大学生になった向井さんは、遠ざけてきた過去を捉え直すために、施設で共に暮らした仲間に再会。ドキュメンタリー映画『チョコレートケーキと法隆寺』の製作・上映を通じて彼に生じた変化とはーー

     

    二重の喪失による傷み

    ――生い立ちについて教えてください

    3,4歳の頃、父が釣ってきた魚を、母が天ぷらにしてくれた記憶があります。温かな家庭でした。ところが、5歳の頃に母ががんで入院したんです。働きながらきょうだい3人を育てることは難しかった父は、僕たちを施設に預けることにしました。施設に向かう車内の重々しい雰囲気は、今でも鮮明に覚えています。これからどうなるのか、想像することができませんでした。

     

    ――施設に入ってからは

    母に会うために休日に病院に通ったり、母と文通をしたりしていました。手紙には、「僕は元気です。友達もたくさんいます」と書きました。でも、本当は1人で遊んでいました笑 施設は一時的な場所だと思っていたので、友達を作らなかったんです。しばらくして、保育士さんから母親が亡くなったことを聞かされました。当時の僕は、母の死を受け容れることができませんでした。あるとき、その保育士さんが辞めてしまいました。母を失った上に、頼りにしていた保育士さんとも離れることになったんです。そのときから、大人に寄りかからないようになりました。

     

    ――小学生になってからは

    小学生の建物に移ったその日、上級生がけんかをしていて、「怖いなぁ」と思いました。施設に限ったことではありませんが、大人の目が届かないところでけんかやいじめがありました。つらくて、「早く家に戻りたい」と思っていました。土日に家に帰ったときには、「施設に戻りたくない」と泣き叫ぶ妹をなだめていました。本当は自分も言いたいけど、言っても父を困らせるだけ。僕は自分の思いを抑えました。次第に、自分が何を望んでいるのかがわからなくなりました。

     

    ――施設の職員との関わりは

    最もお世話になったのは、小3~小5のときの保育士さん。当時、僕は勉強をサボっていました。施設は騒がしくて勉強どころではないし、塾に通うこともできません。一般家庭の子には勝てないと思い、勉強を諦めていたんです。そんな僕に、「施設を出てから必要だから勉強しなさい」と叱ってくれました。僕が夜に泣いていると、仕事の時間が終わってもずっとそばにいてくれました。同じ目線で笑ったり泣いたりして、一緒に生きてくれたんです。その保育士さんのおかげで、つらい気持ちを伝えることで心が軽くなることがあることがわかりました。

     

    ――施設を離れたのはいつですか

    小学6年生です。僕らが大きくなり、家でも暮らすことができるだろうと判断されました。その頃は家に戻ることを諦めていたのですが、以前の生活に戻ることができるかもしれないと、期待しました。でも、家に戻ってみると、昔とは違いました。母はもういないし、離れて生活していた父とは気持ちの共有をしてこなかったので、すれ違いが生まれました。でも、家に戻って良かったこともありました。勉強ができないことが悔しかったので、父に言って、塾に行かせてもらえるようになりました。程なくして、遅れの少ない英語の成績が伸びました。「やればできる」という達成感が得られ、次第に他の教科の成績も伸びていきました。

     

    生い立ちの整理は映画づくりで

    ――ドキュメンタリー映画を制作しようとしたきっかけは

    高校1年生のとき、慶應大学湘南藤沢キャンパス(以下、SFC)に進学することを決めました。家を出て、関西を離れ、自信のない自分を変えたかったんです。SFCでは、自分で設定したテーマをもとに授業を選びます。大学で何がしたいのかはわからなかったけど、入ってから決めようと思っていました。2年の春に映像を製作するゼミに入り、「児童養護施設退所後の難しさ」をテーマに、ドキュメンタリー映画を製作することにしました。

     

    ――テーマ設定の理由は

    一つは、児童養護施設のことをたくさんの人に知ってもらいたいという思いからです。多様な学生がいるSFCですが、僕が施設で育った過去は、周りには理解してもらえませんでした。生い立ちを周囲に理解されず、生きづらさを抱えている人が他にもいるのではないかと思い、映画を通じて現状を伝えることにしました。もう一つの理由は、過去の自分を認めたいという個人的な思いからです。当時、施設で暮らしていた過去の自分から目を背けていて、何かが欠落したような感覚だったんです。

     

    ――撮影はどのように進めていきましたか

    施設で一緒に頑張っていた同級生を撮ることにしました。成人式で待ち構えて、「ちょっと映像を作っていて、撮っていい?」と訊きながら、撮影を始めました。その日から、何人かの同級生に会ってカメラを回しました。初めは相手の気持ちを引き出すことができませんでした。僕は踏みこんだ関係を築くことが苦手だし、カメラを向けられて、同級生も緊張しているんです。でもあるとき、同級生が虐待のことを話してくれて、初めて自分のことも話すことができました。相手との距離感が近すぎるとよい映像が撮れないし、距離感を保っていると本音が引き出せない。近寄りすぎず、離れすぎず、メリハリをつけることが難しかったです。僕が質問をすると、「逆にどうだった?」と返され、全く答えられなかったこともありました。相手の話を聴く中で、写し鏡のように自分が見えてきました。

     

    ――映画製作を経て、過去の自分のイメージはどのように変化しましたか。

    映画を作る前は、不完全な記憶に基づく誤った認識がありました。つらい過去を忘れようとしていたんだと思います。撮影を通じて、悪いことだけではなく楽しかったことも思い出し、お世話になった方々への感謝の気持ちがわいてきました。施設に入る前の経験、施設での経験、家庭に戻ったあとの経験、そして過去に悩んでいる現在。バラバラしていた自分のイメージが統合されて、過去を受け容れられるようになりました。

     

    自分の作品は腹を痛めて産んだ子どものよう

    ――映画を上映してみてどのような反応がありましたか

    一番印象に残っているのは、子どもを施設に預けた父親が、「これから子どもとどう接していけばいいのかわからない」と言っていたことです。切実さがすごく伝わってきて、「あの時、自分の父も同じような心境だったのかもしれない」と思いました。映画の製作中は自分のことで精一杯で、常に当事者目線でした。親や支援者の視点を入れる発想が無かったんです。でも、親や支援者の視点が無いと、全体が見えてこない。当事者の知らない所で支援者が色々と考えて動いて下さっていることがわかり、すごく嬉しかったです。

     

    ――上映をしてみて全体像が見えてきた

    当事者と支援者の乖離も見えてきました。強い熱意がありながら、どうすればいいのかわからず困っている支援者が多くて。映画を通じて、当事者と支援者を少しだけつなげられているのかなと思います。映画を観たあとの交流会では、支援者に前向きな変化が感じられることがあります。また、つらい過去をもつ方が経験を話して下さることもあります。話し終えて、表情が軽くなった様子をみると、少しは役に立てたのかなと思います。自分のつらさを解消することを原動力に作ったこの映画が、誰かの役に立っていることは嬉しいです。映画は自分で作った子どもみたいで、それに育ててもらっています。親は子から学ぶといいますが、それに近いですね。製作過程でつらい時期もあり、かなり腹を傷めたんですけど、諦めないでよかったと思います。

     

    ――今後について教えてください

    まずは、自分の好きなように生きられることが大切だと思っています。それが最終的に誰かのためになったらいいですね。

     

    ――お世話になった人へメッセージをお願いします

    今まで助けてくれた友人や、出会った人たちに感謝しています。特に、僕の映画の本質を見抜いた、ある人に。その人からは自分を変えるきっかけと、大きな温情を受け取りました。一番幸せになってほしい人です。でも、頑張りすぎてどうしようもないとき、無理にそう思えなくても、「君にとっての、良い人生を」と伝えたいです。人に言う前に、まずは僕が、これからの自分をがんばります。

     

    チョコレートケーキと法隆寺の情報はこちらのFacebookページから

    https://www.facebook.com/chocohouryuji

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