• 施設、里親、養親のもとで育ち巣立った当事者のインタビューサイト
    LINEで送る
    Pocket

    虐待を逃れ、小学2年生から6年生まで児童養護施設で生活した布施響さん。成長の先に成功があると考えた彼は、中高生時代、「勉強」と「リーダーシップ」に力を注ぎます。大学で社会起業を学んだあと、研究者への道を歩み始めた布施さんが、その先に見据えるものとは――

    虐待を逃れて児童養護施設へ

    ――生い立ちについて教えてください

    幼い頃、母は何の脈絡もなく僕に暴力を振いました。1番記憶に残っているのは、布団叩きで叩かれたこと。包丁を持った母に追いかけられることもありました。また、母が僕の目の前で、調理バサミを使ってランドセルを切り刻んだこともありました。

     

    ――保護された経緯は

    僕が小学2年生のとき、母の虐待に耐えかねた父が、僕と弟を連れて祖父母の家に行きました。その後、児童相談所(以下、児相)の職員と会いました。児相の一時保護所にいたのは1ヶ月ぐらいで、嫌な思い出はあまりありません。保護所で勉強するから学校に行かなくていいし、二つ年上の子が手書きのカードゲームをかなり作り込んでいて、それに倣ってみんなで遊んでいました。

     

    施設からの脱走と発熱に共通する理由

    ――その後児童養護施設へ

    施設の生活で鮮明に覚えているのは、同い年のA君にいじめられたこと。初めは職員に伝えて解決しようとしました。職員の前では反省したふりをするA君ですが、二人きりになると「チクったな」と言われて、もっとひどいことをされるんです。だから僕は、A君くんにいじめられていることを職員に勘付かれないように、A君と仲良く振る舞ったんです。すると職員が「お前ら仲がいいな」と言います。「この職員は本当のことを分かってないな」と思いました。

     

    ――職員に伝えても解決しなかった。どうしたのか。

    施設を脱走して、祖父母の家に行っていました。歩いて行くには遠いので、交番で「迷子になったので家まで送って下さい」と言ったこともあります。バレて、園長が迎えに来ましたけど。もう一つの手段は、病気のふりをすること。さすがのA君も、病人には手を出せない。職員に「具合が悪い」って言うんです。熱を測っても平熱なんですけど、そのまま寝ていました。それを繰り返すと、本当に熱が出るようになったんです。しばらくすると、「響はずっと熱がある」と、施設の職員が心配しました。

     

    ――仮病を繰り返しているうちに本当に熱が出た

    小学6年生のときに施設の建て替えがあり、大舎制から少人数で分かれて生活するユニット制に変わりました。大舎制のときは、ベッドがA君と隣合わせで逃げ場がありませんでした。でも、建て替えでA君と離れたので、僕の熱は治ったんです。

     

    ――職員との関わりは

    いじめの一件から、職員とは表面的な付き合いをしていました。ただ、何か問題があると思われると良くないので、本心がばれないように、模範的な子どもを演じていました。いい子は職員に褒められるので、悪い気はしなかった。この経験から、人は他人を完全に理解することはできない、と思うようになりました。

     

    ――施設を離れたのは

    小学校を卒業してからです。父と弟と祖父母の5人で生活することになりました。中学生になると、施設で生活していた経験からか、「将来いい暮らしがしたい」と思うようになりました。その第一歩として、模範的な生徒になって、良い成績を収めようと思いました。中学校では、学級委員長や部長や生徒会役員をやりました。転校生のような立場だったので、初めは信頼を築くのが大変でしたが、だんだんみんなが僕のことを認めてくれるようになりました。

    応援団文化にどっぷり浸かった高校時代

    ――高校時代は

    高校では総会議長(生徒会長)をやっていました。高校が人生で一番楽しかったです。僕が通っていた仙台一高(以下、一高)は自由な校風で、服装髪型、なんでもあり。例えばオープンスクールで初めて一高行ったときは、ブーメランの水着姿でネクタイを締めて、赤いランドセルを背負ってリコーダーを吹いている人が校内を徘徊していました。

     

    ――すごい高校ですね笑

    一高は、応援団文化で、団長は神なんです。新入生歓迎行事では、1年生が入場すると、カーテンが閉まっていて真っ暗。応援団の怖い先輩が突然ドーンと和太鼓を叩いて、副団長が「一高において団長は神である! 団長、ご入場!!」と叫ぶ。すると扉がバーンって開いて、団長が入ってくる。壇上まで5分くらいかけて、ゆっくり進むんです。新入生が代表の挨拶で「本日は…」と第一声を発した途端、上級生が床を叩いて、一言も聞いてもらえないんです。挨拶が読み終わった瞬間に、ピタっと音が鳴り止む。それでもう、一高が大好きになりました。

     

    ――理不尽ですね笑

    4月から始まる応援歌指導では、入ったばかりの1年生にいきなり校歌を歌わせる。歌えないと、「何で歌えないんだ!」と怒られる。ライバル校である仙台二高との野球の定期戦が行われる5月までにいろいろな行事をやって、校歌を覚えたり、みんなで一丸となって応援したりして、愛校心を形成するんです。

     

    ――進路については

    進路を考えるとき、ふと自分の経験がちらついたんです。もしあのまま施設にいたとしたら、塾には行けず、部活も施設で許可されたものしかできなかったかもしれない。施設の子どもたちの置かれている状況を考えたとき、自分なら施設職員とは別の形で児童福祉に関われるのではないかと思いました。大学を調べたときに、ビジネスで社会問題を解決する、ソーシャルイノベーションという分野を見つけて、「面白そうだし、これまでにない社会的養護への関わり方ができるかもしれない」と思って、慶応大学を志願しました。で、落ちて関西学院大学(以下、関学)に笑

     

     

    自分だからこそできることは何か-研究の道へ

    ――社会起業学科ではどのような学びが

    社会起業の本場イギリスに、6週間のインターンに行きました。最もおもしろかったのは、社会的養護のケアを離れた人たちを支援する団体です。運転免許の取得にお金が出たり、無料で身分証明書を取れたり、25歳まで大学に戻れたり。充実の制度に驚きました。課題はありつつも、社会的養護から脱出する若者に対して手厚い支援をしている。あとは犯罪前科者を雇用しているロジスティクス(物流業)。人材育成の仕組みが整っていて、知識やスキルが認められると資格が与えられて、他社でも認めてもらえるんです。メディア産業を盛り上げるために、街にいる子どもを集めてその街を題材にした映画を制作する団体もありました。

     

    ――大学での学びを経て、将来は

    当事者のニーズは当事者が一番わかる。だから僕は制度の根本に関わるために、研究者を志すことにしました。4月から関学の大学院に通っています。修士課程では、「外国にルーツを持つ児童養護施設の子どもの実態と必要な支援」というテーマで研究しようと考えています。最初は社会的養護の当事者研究からスタートしますが、将来的にはいろいろな当事者研究に関わって、研究の成果を社会に還元したいと思っています。そして、人生をかけて一人ひとりの能力をいかせる社会にしていきたいです。

     

    ――最後に中高生に向けてメッセージを

    施設で生活していることや勉強ができないことは、足が遅いのと同じぐらいのこと。つい人と比べて劣っていることに目が向きがちだけど、逆に、あなたができることは何なのか。そこから人生を考えてみるのがいいのではないでしょうか。

    LINEで送る
    Pocket


    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

    日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)